昨年の6月、学術研究船「白鳳丸」(海洋研究開発機構)はマリアナ沖スルガ海山付近で、まだ眼も口も出来ていないニホンウナギAnguilla japonicaの孵化仔魚(プレレプトセファルス)を多数発見した(1)(図1)。世界初、ウナギの産卵現場をピンポイントで特定した瞬間であった。この発見はテレビ、新聞、雑誌に大きく報道された。しかしこれは単に産卵場の位置が明らかになったに過ぎない。どんなルートを通って産卵場にやってくるのか?産卵水深は?オリエンテーションのメカニズムは?ペア産卵か集団か?ウナギはなぜ何千キロも離れた産卵場までわざわざ回遊しなくてはならないのか?問題は山積している。
そもそも我々の研究室は、海洋生物の回遊生態について研究している。これまでに扱った生物はアユ、サクラマス、ハゼなど、様々な魚類から海棲爬虫類のウミガメまで幅広い。多くの生物の回遊現象の起源・進化とメカニズムを研究する過程で、海を旅する生き物の共通原理と多様性を明らかにするのが目的である。
しかしウナギの場合はいささか趣を異にしていた。その生態にあまりにも謎が多かったので、本格的な回遊研究に着手する前に、様々な準備段階が必要であった。まずは産卵場、そして生活史、集団構造、回遊型多型(2)などを明らかにする必要があった。加えて、ウナギの場合は分類さえおぼつかなかったので、これら外堀を埋める作業から着手しなければならなかった。
一般にウナギの生態は謎に包まれているといわれるが、中でも第一級の謎が産卵場問題である(3)。20世紀初頭、海洋学の巨人 ヨハネス・シュミットは、 大西洋のウナギがサルガッソー海で産卵することを突き止めた。これに遅れること約70年、太平洋でも1991年に10mm前後のレプトセファルス(アナゴ、ハモ、ウツボなどウナギの仲間に共通した透明で柳の葉状の仔魚の総称)が約1000尾採集され、ニホンウナギの産卵場はマリアナ諸島西方海域にあることがほぼ確定した(4)。この時点で太平洋のウナギ産卵場研究も大西洋のそれに並んだ。しかしこれらの発見は百万平方キロ以上もの広い範囲を産卵の可能性がある海域として推定したに過ぎず、卵や生まれたての孵化仔魚を採集して実際にウナギの産卵現場を押さえたわけではなかった。
そこで我々は、ニホンウナギについて産卵の現場をピンポイントで特定するために、二つの仮説を考えた(5)。場所を特定する「海山仮説」と産卵のタイミングを決める「新月仮説」である。海山仮説はこれまでの全ての調査から得られたニホンウナギのレプトセファルスの分布データに体サイズ、海流、海底地形の情報を総合して導き出された(図2)。すなわち、ニホンウナギは西マリアナ海嶺の北緯15°東経142.5°前後の3つの海山(スルガ、アラカネ、パスファインダー)のいずれかで産卵するというものである。一方新月仮説は、内耳にある耳石(じせき)の日周輪に基づく孵化日解析から出てきた説で、ニホンウナギは産卵期に毎日だらだらと産卵するのではなく、各月の新月の日前後に、同期して一斉に産卵するというものである。
これらの海山はいずれも水深3000~4000mの海底から海面下10~40mの表層まで、海中にそびえ立つ富士山(3776m)クラスの高い山々である。海山は東アジアから約3000kmの大回遊をしてきたニホンウナギの雌と雄が集合する「約束の地」であり、「出合いの場」である。また、新月のあとに遅れて産卵場へ辿りついたウナギが次の新月の日まで待機する「待合所」でもある。さらに、これら3海山を含む西マリアナ海嶺の海山列は、かつて火山であったことから磁気異常が生じている。東アジアから南下して産卵場へ至るウナギが、 これらの海山列の磁気異常を「道標」として使っている可能性もある。また新月の夜の一斉産卵は受精率を高め、被食を減らして有利である。このように考えてみると、ウナギの産卵回遊生態は何千万年もかけて実に巧妙に仕組まれたシナリオであることがわかる。
上記2仮説を着想した1994年から、これに基づいて調査を継続してきたが、10年余り目覚ましい成果は得られなかった。しかし冒頭で述べたように、ついに昨夏、孵化後2日目のプレレプトセファルスを6月7日の新月の日、スルガ海山の西方約100kmの地点で採集し、二つの仮説を実証することができた(図2)。「ウナギは泥の中から自然発生する」とその動物誌の中に書いた古代ギリシャのアリストテレス以来、ウナギ産卵場の謎が解けたことになる。
新聞やテレビの取材で「産卵場がわかってよかったですね。ウナギの仕事が終わると、次は何をするんですか?」とよく聞かれる。しかし、 実はウナギの回遊研究はこれからが本番なのである。今回明らかとなった産卵場を基点に、 様々な方向に研究が発展する。今回の発見は海山におけるウナギの産卵生態や親ウナギのオリエンテーション機構等の海洋生命科学の諸課題の他に、資源変動機構の解明、ウナギの完全養殖技術の実用化研究、ウナギ資源の保全生物学など、応用科学の新展開にも直結する。まことに興味は尽きない。
ひたすら産卵場を求め続けた冒険の時代は終わった。これからが真の研究の始まりである。ウナギの回遊研究はいよいよ佳境に入った。
東京大学海洋研究所・海洋生命科学部門・教授
専門:海洋生命科学
*図1
2005年夏の研究航海で採集されたウナギのプレレプトセファルス。
a:全長5.0mm (2日齢)。目や口が未発達で大型の油球を持つ。
b:全長4.2mm (4日齢)。目や口が発達し油球は小さくなっている。
齢と体サイズが一致しないのは採集後のサンプルの縮小程度の差による。
*図2
外洋におけるウナギ仔稚魚の分布。
1956-2002年までに行われた31回の研究航海で採集された計2418個体の採集測点を示す。
小黒点は採集努力を払ったにもかかわらず、ウナギの仔稚魚が採集されなかった測点を示す。
「海山仮説」の3つの海山(大きな三角印:スルガ海山、アラカネ海山、パスファインダー海山)はおよそ北緯15°東経142.5°にある。
図中星印は孵化後2日齢の孵化仔魚(プレレプトセファルス)が採集されたスルガ海山西の測点。